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 2014年2月。「現代のベートーベン」として、当時の日本のクラシック界を席巻していた作曲家佐村河内守。その彼にゴーストライターがいることが判明した。ゴーストライターは当時桐朋学園大学の講師をしていた現代音楽家の新垣隆氏である。

ゴーストライターの存在理由

 ゴーストライターは出版業界、テレビ業界において存在する。私もゴーストライターのようなことをしたし、ネタを放送作家に取られてこともある。どういう、ゴーストライティングなら許され、どういうゴーストライティングなら許されないのか。

これまでは公然の秘密として、ゴーストライターがいたが、この事件により存在が明らかになったことと、それによる著作権の在り方を考える機会になった。ゴーストライティング契約において、著作権は依頼者に帰属し、商業レベルの著作権の在り方を認識しなければならない。

権威による著作権の移動はよくあることだ。物を作る者にプロデュース力があることは少ない。駆け出しの作家は、作品を渡すことの引き換えに、お金と発表の場をもらう。名前は出なくてもこれは魅力的なことである。誰もが名声が欲しいわけではない。有名になることで物が作れなくなるということもなくなる。

ゴーストライターが受け入れられない理由

 そのことが、バレた時に「作品の価値が下がる」のである。同じ作品なのに「全ろうの作曲家」が魂を削って作ったものが、そうではなかったら、その音楽を聴く価値がなくなるというのである。

 株式会社サモンプロモーションは、佐村河内守の全国ツアーを企画していたが、ゴーストライター騒動で中止となり、裁判によりその損害賠償約6130万円を求めた。その反訴として、佐村河内側は楽曲の著作権使用料の支払い約730万円を同社に求めた。本訴では佐村河内側の不法行為が成立するのか、反訴では著作権の権利の帰属が争点となる。著作権を管理する日本音楽著作権協会(JASRAC)は、「権利の帰属が明確になるまで作品の利用許諾を保留する」と発表していた。新垣隆氏は佐村河内氏のもとで作った楽曲は著作権を放棄している。

法的にゴーストライターってどうなの?

結局裁判は控訴審までもつれ、平成29年12月28日、本訴の損害賠償額4238万5351円、反訴の著作権使用料の不当利得返還請求は410万6459円で判決が出た。本訴では佐村河内側の不法行為と公演中止の損害の因果関係がある程度認められ、反訴においては、著作権の帰属の問題はゴーストライターの是非は問われずに、著作権の譲渡の有効性を認めた形になった。

 音楽的観点から、最初に佐村河内氏の嘘を見抜いた野口剛夫氏は『新潮45』2014年5月号において、「誰でも見抜ける嘘」であった主張している。また、このようなことが起きた原因について、「…本来は音楽家なら音楽そのもの、文筆家なら文筆そのもので評価されるべきである。しかし、今はそういう当たり前のこと基本的なことに多くの人が興味を失っている」と述べている。それが、嘘を黙認した原因であり、社会の風潮である。ゴーストライターは見て見ぬものとして扱うのが、法的にも正しそうだ。

ゴーストライターはなくならない

 ゴーストライターは作品を消費させ、金銭をもらう。それはビジネスである。作品の権利が移動しても、それを作ったという事実はけせない。作品には罪がない。誰が作ったとしても、作品は正しい評価されるべきである。また、「現在のベートーベン」を生み出したのは佐村河内氏や新垣氏ではなく、その環境ではなかったのか。このことは音楽界隈では、知っていたのではないか。ゴーストライターはいまだ、公然の秘密である。メディアは明らかにわかる嘘を黙認する。大作曲家を求めた音楽業界であり、それを求めたファンであることを忘れてはならない。

参考文献

野口剛夫 著 『「全聾の天才作曲家」佐村河内守は本物か』株式会社新潮社 2013年
野口剛夫 著 『佐村河内問題とはなんだったのか』株式会社新潮社 2014年
神山典夫 著 『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌 株式会社 文藝春秋 2015年
新垣隆 著 『音楽という〈真実〉』小学館 2015年