世の中には9000万円で解決できないことはたくさんある。

かんぱい

お金があれば、大概のことは解決できるというが、お金では解決できないことはたくさんある。そもそも9000万円が問題を大きくしてしまった感じがある。お金は嫌なことも運んでくるのだが、お金の使い方を間違うととんでもないことになるなあ、という教訓にはしておく。

生命に関すること

お金ではどうすることもできないのが、生命に関することである。いくらお金を積まれても、人殺しをしてもいいことにはならない。しかし、お金の価値を見誤ると、9000万円で、人を殺してもいいと、思ってしまう人がいる。お金があると何をしてもよい、と思ってしまう人がいる。お金がある人は、お金がない人を見下し、わけもなく支配しようとする。これは、本当に嫌なことだがお金で、人は変わってしまうのである。

お金の必要のない人に必要以上のお金を渡す。

お金で、人を支配できると思っている人はいるが、本当に常識のある人は不要なお金は受け取らない。なぜなら、税金関係がややこしいからである。もし、9000万円上げるといわれても、まず初めに考えるのは、「贈与税いくらかかるんだ。」贈与契約書とかややこしいなあ。未来がごちゃごちゃするんだったら、お金は受け取らないことである。脱税して受け取った金で、成功したら、絶対税務署かくるので、お勧めしない。

お金自体には価値がない。

お金を手に入れて、いい気になって無駄遣いしてしまうのは、本当に注意しないといけない。お金をつかうのも結構体力のいることである。たぶん9000万円の代償は大きい。9000万円は余計な厄介ごとの金額である。9000万円で、やりたいことがなければ、9000万円なんて何の価値もない。

正直、とつぜんの9000万円は、なかなか厄介なものであるし、これで何とかなると思っているのは、本当にいやらしいと思うのだが、お金で、人が変わる人もいるから、そういう人にお金をちらつかせるのなら、その世界ではありな行動かもしれない。

銭ゲバと呼ばれる人は案外多い。

大概の人生には何も、残らない。

バラの造花

2025年も、2月になり、節分を越した。明日は建国記念の日である。一度、外国の人に「今日はジャパニーズホリデーだ」と答えたら、「何の日?」と返され、建国記念日というと、そもそも日本の建国の概念など考えると、ややこしそうだったので、とりあえず、「スプリング カミング デイ」と答えておいた。そもそも、2000年くらい前に建国したなどと言ってるし、史実などないが、海外に習い、建国記念の日など作ったのかなと思っている。多くの国は国というものを作るのに大きな労力を費やしている。国ができた喜びを、ナショナリズムとして持っているのだろうけど、日本はそういうわけではない。今も昔も、日本が続いている。今のところ。

コロナから、料理という作業を日常に組み入れると、美味しいものが食べられ、心身ともに健康になったのだが、料理というものは時間がかかる。家事というものは大体そうである。生活をきちんとしていると、家事に追われる。次から次に来る仕事をこなす。美味しいものを食べ、何も残らない人生なのである。そもそも大体の人生はそう。生活するだけで、大変である。生きているだけで偉い。というが、生活をしている者が偉いのだと思っている。なんとか頑張って、生活しているものは偉いと思う。

というわけで、2月で、2月というと税務署に行って確定申告をするというイベント、今年はさらに、引越し、手続きがいっぱい。労災の申請、相続時精算課税、確定申告、引越しの手続き、荷物の整理。大変だけど、結局はどこかで、大変になる。追われるようように大変になるのなら、自ら大変に飛び込むというのが信条である。

春になったし、なんとかがんばろう。

今までipad pro を使っていた私が、ipad airを購入したらどうなったか。

air pods

この正月、appleの初売りでipad air 13インチ第6世代を購入。これまでは、ipad pro 12.9インチ第2世代、ipad 11インチ第6世代を保有。先日、air13インチが届いたので、率直な感想を書く。

なぜ今回airを買ったのか。

ある日のこと、風呂場にipadを持って行き、お風呂に入ろうとしたら、ipadを風呂に落としてしまった。これが水没というやつか・・・厳密には、約3ヶ月くらいをかけて調子が悪くなっていき、使えなくなってしまった。仕方ない新しい、ipad Proでも買うか。とりあえず、たぶんAppleのそこそこへビーユーザーの私は、appleで出ている今一番いいipadを買おうとしていた。たぶん、appleで買い物をするというのはこんな感じ。

しかし、昨年の4月のこと、ipad proを購入しようとしたが何度やってもクレジットの決済が落ちなかった。proなので20万以上するしね。貧乏人はipadが買えないのかとショックを受けて、今回この2025年の初売りでランクを落とし、airを買うことにした。とにかく、13インチのipadが欲しかった。

ipad airが到着。

設定が終わり、使ってみたが・・・。基本なんも変わってない。今までのipadとなんの変わりもなく、使えてしまう。いやあ、悪くはない。コスパ最高。画面は大きいし。うーん、画面が大きいだけ。何が違うんだ。どういうことだ。たぶん今までより便利だ。便利になった。

ipad airの感想

たぶん、ipad airは悪くない。悪いとすれば、私の今までのapple製品の買い方である。新しいものが発売されたら、すぐに飛びつく。いいipadが欲しいと思えば、いくらでもお金を出してしまうようなそんな私の強欲さが行けなかったのだ。要するに今まで、ipad pro を使っていたのに、ipad airを買ってしまってはグレードダウンなのだ。たぶん綺麗な最新の液晶を見て、ワクワクしたかったのだ。air pods maxがあるから、スピーカも不要だけど、4つついてないと行けないのだ。airにはスピーカーが2つしかないという。コスパは良いけど明らかにグレードダウンしてしまっている。

ちなみに、スピーカの数は減ったが、音が悪くなったとは感じていない。まあいいんじゃないかな。

要するにipad proが欲しい人にはipad airはおすすめできない。

能の起こりから、現代まで、ざっくりと歴史。

能は、散楽にはじまり、1000年以上の歴史をもつ日本の伝統芸能である。のちに大和猿楽となり、奈良興福寺などで、寺社芸能として公演されてきた。

 室町時代、三代将軍足利義満の支援を受けた観阿弥、世阿弥親子によって、今に残る能の形が作られた。観阿弥は曲舞のリズムを能の謡に取り入れ、世阿弥は「夢幻能」と呼ばれる劇形式を確立し、幽玄の世界を表現した。また、世阿弥は『風姿花伝』などの理論書を残し、その言葉は現代に生きる我々にも影響を与えている。

 豊臣秀吉は晩年、能にはまり、稽古に励み、金春、観世、宝生、金剛の大和四座を保護し、配当米を与え支配下に置いた。

 江戸時代には能は「式楽」となり、能役者達は、幕府や藩に召し抱えられ、儀式に参加し給与を受け、保護された。五代将軍、徳川綱吉も能に熱中した将軍であり、珍しい能を好み上演が途絶えた演目を再びよみがえらせ復曲能がよく演じられることとなった。また、出版技術が向上した江戸時代において、能は謡本として民衆に広まり、謡は庶民の間で親しまれた。

 明治維新により、幕府や藩の保護がなくなり、能役者達は路頭に迷い、いくつもの流派が断絶した。しかし、海外のオペラに劣らない舞台芸術として、政府の要人として諸外国を視察した岩倉具視は能の芸術的価値を認識し、華族や財閥の支援を受け、能楽は復興した。芝能楽堂を始めとし、それまで、屋外にあった能舞台は建物の中に収容され、他の舞台芸術では類を見ない能楽堂が建てられた。また、これまで「猿楽」といわれていた能を「能楽」に言い換えた。これが現代の能の基礎となった。

 この長い歴史において、能は洗練され、簡素化されていった。

 これが能の魅力であり難しさでもある。

 これまで、能楽堂で上演されることの多かった能だが、戦後、市民ホールや芸術ホールができ、特設舞台で演じられることも多くなった。またシテ方が企画し、ワキ方、囃子方を集める公演方法から、劇場側や能に関わる団体が企画する公演が増えてきた。観客も能を学ぶ弟子から、一般の観客が増え、演能形式も変わってきた。

 能は時代によって、対応し、変化し今日まで続いている伝統芸能である。

参考文献

独立行政法人日本芸術文化振興会 「文化デジタルライブラリー 能楽偏 その二」

(https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc12/index.html 閲覧日:2020 年 11 月13 日)

昨年を振り返り、一年の計を考える。

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

昨年のことを振り返ったり、一年の計を立てたりなんてことはこれまで、しなかったのだけど、さすがに50歳を超し、昨年とんでもなく、大変な一年だったとさすがに思うところもあるものです。

昨年を振り返る

昨年は、年初から年末からのコロナを引っ張り、正月は体力を消耗。1月末にはハイチュウを食べていて歯が折れて歯医者に。いつも行く歯医者ではなく、別の歯医者に行ったら、神経を抜いたり自費治療だったのだけど、私にとってあまりいい歯医者ではなかった。4月になっても、歯一本の治療が終わらず無駄に長引かせているようだった。まあ、歯医者って普通そういうものよね。なんやあってそこの歯医者は一本治療終わっておしまいにする。

さらに正月、鍵穴が閉まらなくなる。鍵を直してもらうと爪楊枝が刺さっていた。また、階下の奴の仕業かと思ったが、どうしようもないので、夏に警察に被害届だけだす。

春に仕事が更新年だったので、試験を受ける。無茶苦茶緊張したが、とりあえず契約4年目。

警察がやってくる。うっとうしい実家の父親を無視してたら捜索願を出されるゴールデンウィーク。実家に帰ったり、親と揉める一年。ストレスでコントや漫才を見始める。

同い年の友達たちとは、基本的にうまくいかず。みんな忙しい。価値観はどんどんずれるし、すごく大切にしないとつぶれていくものだし、相手を理解し、自分を理解してもらうのは大変な一年。

8月、ニューヨークの凱旋公演のチケットがすごく余ってるとのことで、東京まで台風の中、観に行く。ずっと何となく好きだったのだけど、公演見たらむっちゃ面白くて、最近のお気に入り。東京に行ったついでに皇居にいったり、銀座に行ったり、レトルトさんのレトセトラにいったりする。

なんか、9月は通信の大学のゼミで屋久島旅行に参加。若い人たちと、沢登りしたり、山歩きしたり、年齢が倍以上違うのでいろいろ心配される。脳科学者の茂木健一郎氏と副学長の世耕氏(弟)の話を聞く。なんか政治もいろいろあった時だが、基本的には政治は興味のあることしか興味がないので、よくわからない。手荷物検査や天候不順でいろいろあった。

部屋をリフォームしようとするが、リフォーム業者なんて見つからない。

11月、足首を骨折する。全治2か月。通勤中、普通に歩いていて、街路樹の植え込みに足を取られる。沢登りしても平気だったのにだ。とりあえず、2週間ギプス生活。色々調べてみると、腓骨の剥離骨折で、骨折の中では結構軽いほうらしい。骨折は人生3回目。これはさすがに多い。いやになってくる。とりあえず、けがの多い人生。ギプスも取れ何とか年末。

所感

年を取るとマジ忙しすぎる。昔のようにできていたことができない。できることは限られている。体力のなさ。貧血。眠い。コレステロール値は高い。無理して頑張るのは無理。ほんとうに、このままでは来年死ぬわ。と切実に思ってしまう。10代、20代は適当な驚異の記憶力、30代、40代は秘儀、過集中でやってきたが、50代越したら、そんなものには頼れなくなる。メメント・モリ。本当に死が近づいているのだな。

2025年やるべきこと。

必ずやらなければならないことがある。それは関西万博。大阪住の私はかなり関西万博に左右されるだろう。万博ボランティアも参加することになっている。たぶんもう、万博といかに共存するかが、一番の課題である。それだけで十分忙しい。

  • 英語の勉強

健康に注意する

コレステロール値が高くて何が悪いと思っていたが、確実に弊害があるのだ。

  • 早寝早起き
  • 定期的な運動
  • 食事に気を付ける。

結局は、人間は、年を取ると着実なルーティーンで、生きていくしかないよねえ。という話。今年も何卒よろしくお願いいたします。

婿養子はあって、嫁養子はなぜないのか。

カルガモ夫婦

結婚したら、女性は苗字が変わりますね。いやいや、夫婦のどちらかの名前が変わるのだよ。と言いながらも現代の日本では、大体は女性の苗字が変わります。でもたまに、男の人も変わるじゃんか。あ、婿養子。

そもそも婿養子とは?

婿養子とは、苗字が変わるだけではないのです。結婚相手の女性の家を相続することになります。結婚して、女性の姓を名乗り、女性の両親が養子として手続きすることになります。それが婿養子なのです。基本的には女性の家に財産がある場合にやるのですが、婿養子に入った場合、相続上は実子のように扱われ、女性方の家の財産を相続する権利を持ちます。もちろん、女性の相続分は減るので、家社会において女性の立場は弱くなります。婿入りという言葉もあるそうですが、この場合は女性方の苗字を名乗るだけで、養子にならず相続権はないので、金銭的メリットはありません。

長男の嫁とは?

家長制度があった時代は、家の中では年長者の男性の権力が一番強く、長男が家の財産を一身に受け継ぐことになっていました。ですから長男の嫁はそこそこの地位がありました。しかし現在では、遺言状がない場合、相続財産は実の兄弟で均等に分けられるため、嫁は財産を相続することがありません。長男の嫁であることで、舅、姑の介護をする羽目になり、家内でも立場が弱いということで敬遠されがちになっています。

長男の嫁こそ養子にすべきでは?

もし、長男の嫁が家を支える介護要員とみなされるのであれば、むしろ嫁を養子として迎えるべきではないでしょうか。養子にすることで、法的に家の一員として位置づけられ、財産相続の権利も持つことになります。しかし、現実にはそのような仕組みが採用されることは少なく、長男の嫁は家という仕組みの中で不公平な役割を強いられることが多いように見受けられます。

家という制度は、表向きは自由な選択を許しているように見えますが、その実、多くの歴史的な身分制度を残しています。この不公平な構造がいつか解消されるのか、あるいは今後も形を変えながら存続していくのか、考えさせられるところです。

合格率80%以上の色彩検定UC級は難しいのか?

ラフレシア

色彩検定UC級を受験しました。正直なところ、他の色彩検定を受けた経験がない状態での受験はハードルが高かったように思います。

なぜ色彩検定UC級を選んだのか?

色には興味があるものの、私の感性は一般的なものと少し違うようで、例えば、緑色を見て落ち着くという感覚が分からなかったり、赤が派手というよりむしろ暗く感じたりします。(多分、ちょっと色弱)色に関する知識は面白いけれど、なんか落ちたら嫌だなあ。そんな中で見つけたのが色彩検定UC級。ウェブアクセシビリティが専門の私にとって、信頼性を高める良い機会だと思い、挑戦を決めました。

試験勉強

合格率80%以上の試験と言えど、油断は禁物。勉強を始める前にテキストと問題集を購入しましたが、この試験は歴史が浅いため、過去問は2回分程度しかありませんでした。そのため、問題を解きながらテキストを読み進める方法で勉強を進めました。間違えたポイントは重点的に確認し、概要を理解しつつ重要な単語を覚えることに集中しました。特に難しかったのは、色の見え方とL錐体、M錐体、S錐体の関係性です。(多分、LはLong、Mはmiddle、SはShortかな)視覚に関わるこうした要素は専門的で、なぜ色が見えるのかについては、未だ解明されていない部分があることを知りました。

試験当日

試験当日は体調が最悪で、生理痛がひどく、集中するのが精一杯でした。試験時間は60分。配られた問題用紙を見て問題数を確認すると60問以上もありました。1問に1分以上かける余裕はなく、悩んだら適当に答えを記入して次に進む戦略を取りました。それでもギリギリで全問解き終えることができました。

結果は?

試験後、インターネットで結果を確認すると、200点満点中178点で合格していました。合格点は160点なので、十分な点数です。とはいえ、初めての試験でこの点数は、自分としては無難な結果だと感じています。

振り返り

勉強期間は3週間程度、合計約10時間の準備でした。この試験は合格率が高いですが、80%の正答率を求められるため、初学者にはそれ以上の難しさを感じる試験でした。わからない論点が一つでもあると落としてしまう試験だと思うので、テキストは網羅的に理解することが必要です。これからUC級を受験しようと考えている方には、自分に合った学び方を見つけつつ、試験本番ではスピード感を持って臨むことをおすすめします!

色彩検定uc級

https://www.aft.or.jp/uc

大阪市歌とその魅力〜都市を謳う作詞家・堀沢周安

大阪市役所

大阪市歌をご存知ですか? 大阪市内の学校に通っていた方なら聞いたことがあるかもしれませんね。大阪市歌ができたのは今から100年以上前。大正10年のこと。大阪市の市政の中枢として中之島に新庁舎ができ、市民の街として新しい時代の夜明けを寿ぐようにこの大阪市歌が作られました。

1.大阪市歌の紹介

作詞:堀沢周安 作曲:中田章

1. 高津の宮の昔より、
よよの栄を重ねきて、
民のかまどに立つ煙
にぎわいまさる 大阪市、 
にぎわいまさる 大阪市

2. なにわの春のあさぼらけ、
生気ちまたにみなぎりて、
物みな動くなりわいの
力ぞ強き 大阪市、 
力ぞ強き 大阪市

3. 東洋一の商工地、
咲くやこの花さきがけて、
よもに香りを送るべき 務ぞ重き 大阪市、
務ぞ重き 大阪市

*著作権の保護期間を満了

2.市歌制定について

大阪市の誕生は明治22年。その時は府知事が市長の職務を行なっていました。大阪市は今の商工会議所の辺りから始まったのはみなさま、ご存知かもしれません。のちの明治31年に小規模ながらも独立の庁舎として江之子に移し、本格的な庁舎として大正10年に現在の位置、中之島移転しました。所属課として、大阪市に社会教育課が創設され社会教育の基礎が確立されまして、美術館、博物館、教育、民衆娯楽に力が注がれ大阪市歌制定に至ったのでした。広く市民が集まる時に歌える歌ということで、大正9年から公募が始まり、審査員には森鴎外、幸田露伴などの当時の有名人5名。応募歌詞2398首。一等当選したのは当時香川県三豊中学校校長でありました堀沢周安氏であります。

3.作詞家・堀沢周安について

堀沢周安は明治2年、明治維新の1年後に愛知県犬山市に生まれました。 向学心旺盛で当時の高等学校を卒業し、地元で学校の手伝いをし23歳の時に上京し、文学博士、上田万年のもとで国文学の勉強をしました。その後長野県や北海道、香川、愛媛などに教師として赴任し、当地で市歌や校歌をたくさん作りました。他、唱歌や歌集など合わせて135の作品が確認されています。 「田舎の四季」「明治節」の唱歌が有名なものとして残されていますが、作者不詳の唱歌の中に周安のものがあるかもしれません。 大阪市歌当選の時、周安は53歳、先述の通り香川県三豊中学校校長をしておりましたが、2年後には当時の知事が「県立中学校の校長は帝大出身の者にする」という方針を出し、周安は校長職を辞することになりました。その後も教師の傍、作詞家として活躍し、昭和16年73歳のとき、香川県善通寺市においてこの世を去りました。

4.市歌から読む堀沢周安のみた大阪

それでは、大阪市歌の考察をしてみましょう。 1番は大阪の歴史的な成り立ち高津宮、仁徳天皇時代からの長い時代の詰み重ねと、煙たつとういう縦方向の動きで表現されていまは仁徳天皇が詠んだされる【高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどはにぎはひにけり】歌が元になっています。民のかまどの話で当時は小学校の教科書に載るほどの有名な故事でした。大正時代、東洋のマンチェスターと呼ばれた大阪に立っていたのは、煙突の煙です。しかし当時は公害や高化学スモッグなどはあまり考えることなく、立ち上がる煙は龍に通じ、縁起の良いものだったのでしょう。

2番は難波の波と動きと波動、大阪の気が表されています。大大阪の勢いが感じられます。

3番はさくやこの花という難波津の広がり、木花咲耶姫の昔から始まる繁栄が表されています。香りというものは古代から不思議なものでした。目には見えませんが、いつの時代も変わらず同じ香りを広げていく。「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」という難波津の歌と呼ばれるもので王仁が仁徳天皇の即位とのちの繁栄を祝い詠われたものです。 大阪市歌は当時の魅力、大阪の長い歴史と変遷を反映しています。 また作曲は早春賦で有名な中田章。ぜひ一度日本の懐かしい調べをお聞きください。

【参考】大阪市ホームページ 「市歌」

https://www.city.osaka.lg.jp/seisakukikakushitsu/page/0000028864.html

参考資料
『明治大正大阪市史 第1巻 概説篇』大阪市役所編纂 日本評論社 1934年
『新修大阪市史 第6巻』新修大阪市史編纂委員会編 大阪市 1994年
『讃岐人物風景 18』四国新聞社編 丸山学芸図書 1988年
『善通寺市史 第3巻』善通寺市教育委員会市史編さん室編 善通寺市 1994年
『堀沢周安と大州』堀沢周安著 愛媛県立大州高等学校 1973年

2024年 大阪販売士 会報誌に寄稿した元原稿になります。

販売士協会寄稿
ことほぎて 大阪市歌
明治節 歌碑

簡単な宛名書きのはずが…実は闇バイトだった話

闇

副業とクラウドワークス

何かいい仕事ないかなあ。副業で生活を少しでも楽にしたい。そんな思いで、ある日、私はクラウド???スを眺めていました。事務経験もあるし、コツコツと取り組める仕事なら続けられるだろう。そんな時に見つけたのが、商品発送、宛名書きの仕事。商品を受け取り、それを発送する仕事。1日5000円になるらしい。ちょうど、部屋のスペースも空いてるし、これだと思った。内容も簡単で、高額ではないけれど、それなりに安定して稼げそう。迷わず応募し、すぐに担当者から連絡がきました。仕事のやり取りをラインでするのはクラウドクスクスではよくあること。住所を相手に伝えて送られてきた商品を発送するだけ。私はすぐに先方に住所を伝えると次の月曜までには発送する商品を送るとのことでした。

ついに始まる副業生活。

d仕事の進め方はシンプルで、送られた商品の写真を撮り、フリマに出して、売れたら落札者に送るだけ。商品は高額なものや、レアなものが多く高値で売れました。古いウルトラマンの人形や、こんなものがと言うものまで結構な値段で売れました。口座は会社のものになっていたので、売れた金額の何割か収入になっていました。しばらくして、安定的に仕事が入り始め、収入も増え、生活も少しずつ楽になっていきました。

警察が来た!

しかし、ある日、自宅のドアがノックされ、警察が訪ねてきたのです。そのとき初めて、私が知らず知らずのうちに関わっていた「闇バイト」の正体を知ることになりました──。そう、私が扱っていた商品は、すべて万引きや窃盗にあったもの。いわゆる盗品だったのです。

と言うのはまあ、ほとんど創作なのですけど。

闇バイトには気をつけてくださいと言うことで、文章を書いていみました。こう言う手口があるので、話を聞いた時、これは騙されるなあ。と思ってクラウドなんたらをみてるとそれっぽい仕事があったのですよ。クラウドワークスの仕事は私も何回か騙されました。ちゃんとしたのもあるけど。まあ手口としては。

クラウドクスクスなどでの募集
 業者は、クラウドワークスのようなプラットフォームで「簡単な宛名書き」「在宅での発送作業」「梱包バイト」といった名称で仕事を掲載します。内容は「指定された宛先に商品を発送するだけ」といったシンプルなものに見せかけ、誰でもできるようにアピールします。

応募者の登録と連絡開始
 応募者が仕事に興味を持って応募すると、業者は「宛名書きの仕事」を強調し、簡単でリスクのないバイトに見せかけます。連絡方法や契約の形は個人チャットやメッセージで行われることが多く、業者の正体や実態が曖昧なまま進むこともあります。

商品発送を任せる
 応募者が業務を始めると、業者側から商品が送られてきます。ここでの指示は「フリマサイトでの出品」と「落札者への発送」です。応募者は依頼通り、商品を受け取ってフリマサイトに出品し、落札されれば指定された宛先に発送します。報酬は、出品作業や発送作業ごとに少額が支払われる仕組みです。

応募者が知らないまま盗品や違法商品が取引される
 しかし実際には、業者が応募者に送る商品は盗品や不正に取得された品物であることが多いです。応募者が関わっていることを知らないまま、違法な商品を流通させる役割を担わされてしまうのです。

警察の介入と真相発覚
 こうした商品が流通すると、盗品の出所や転売ルートの調査が行われ、警察が応募者の元を訪れる事態が発生します。警察が訪ねてきて初めて、応募者は自分が「闇バイト」に関与していたこと、盗品の取引に関わってしまったことを知ることになります。

と言うことがあるので、くれぐれもお気をつけください。

年金どうなる? 国民皆投資時代! まずはNISAを始めよう!

シロツメ草

日本の現行の国民年金制度は1961年に始まりました。この制度は賦課方式に基づいており、現役世代が年金保険料を支払い、その保険料が高齢者の年金支給に充てられる仕組みです。これは、若い世代が現在の高齢者を支え、将来自分たちも支えられるような仕組みとなっています。このような世代間の支え合いが、国民年金制度の基本的な考え方となっています。

年金制度の課題

国民年金制度が始まった頃から、高齢化社会への対応が課題として存在しました。当初は比較的若い世代が多かったため、制度が十分機能していたと言えますが、将来の高齢化への備えが不十分だったという指摘もあります。1961年の制度開始当初は、高齢者の割合が比較的少なかったため、現役世代が保険料を支払っても支払われる年金額が相対的に高かったと言われています。しかし、高齢化が進むにつれて、年金を受給する高齢者の数が増え、そのために若い世代の負担が増加していくことが予測されました。

当時の現役世代、団塊の世代と呼ばれる人たちが保険料を払っているときは、支払う年金の負担が少なく、良い制度だということで受け入れられた。しかしそれは、問題を先送りにしただけだ。その団塊の世代と呼ばれる人たちが、年金を受け取る側になった時、どうなるか。社会にどんな負担があるかは、十分想像できただろう。

  • 財政的負担の増大
  • 労働力人口の減少
  • 制度見直しの必要性

現行の国民年金制度も未来のことは考えられていない。冷静に考えれば無茶なスキームである。

現行の年金制度はほぼ破綻していると言っても良い。国民年金を満額支払ったところで、月額7万円に満たない。家賃を支払うと生活ができない。物価は上がっていく。この金額では誰かに扶養されることが前提である。

なぜ今投資なのか。

そこで、政府は老後資金を個人でなんとかしてと国民に訴えかけている。それがイデコやNISAという制度になる。貯蓄や投資で国民に老後資金をなんとかしてもらおうという話である。これらの制度は、国民に対して積極的な資産形成と投資を奨励することで、将来の年金受給に備えることを目的としています。公的な年金制度だけでなく、個人の自己責任に基づく資産形成が重要であるという政府の考え方が反映されています。

しかし、これまで、触れてこなかった投資というものについて、国民は大きな不安がある。なぜ投資なのか、投資は本当に大丈夫なものか。

国の新たなスキームNISA

NISAを不安に思うのは無理はない。国はNISAを利用することを強く勧めている。何か裏があるのではないか。

もちろんこれは、今の国民年金制度を打開する新たなスキームである。今の国民年金制度や国民年金に不平や文句を言っても仕方ない。結局はNISAやってほしい、自己責任だけどね。

国民が投資に意識が行き、興味を持ちどんどん始める人が増えれば経済はどんどん回り、NISAやってる人もそうでない人もうまく行くだろう。このスキームにも終わりがある。最後の人がNISAを始めた時、もう資金は増えず、国はまた新たなスキームを考えなくてはならない。

その時が訪れるまで、騙されてNISAを早い目にやっておこうではないか。