以下の内容は、執筆者池乃まれおの妄想です。妄想なので事実と異なることも多いです。
この事件の大筋。
7月8日金曜日、元総理が銃弾に倒れた。容疑者と見られる男はロスジェネ世代の41歳。派遣で働き、現在は無職。自衛隊にいた経験がある。「無敵の人」と呼ばれる類の犯行と思われたが、動機は宗教団体にあるという。いったいどう言うことなのか。真の目的は政治と宗教の癒着を国民に問うものだったと思われる。まるでドラマか、時代劇でも見ている様なそんな事件だった。
今まで、「赤穂浪士」や「曽根崎心中」は脚本家の創作だと思っていたが、小説の様な事件は存在するのだと言うことを知った。
よくできたシナリオの粗探しをしていく。
1元自衛官を強調する報道の違和感を検証する。
事件が起きた当初より、この男が元自衛官である事が強調して報道された。これは、自衛官であるから、武器の扱いに慣れていたという印象操作より、もっと重要なことを知らせるためだった。それが、この男が日本国民であること。決して外国人が起こした犯罪ではなく、日本国民が起こした犯罪であることを、知られるためだったと思われる。ひいてはこの問題は日本人の問題であることを日本国民に伝えるものであった。江戸時代の直訴がお上に訴えたものなら、これは民主主義の世の中に日本国民に訴えたものである。
2岡山に行ったことへの違和感
物語としては、元総理殺害を考えていたとして、偶然にも犯人が暮らしている奈良に元総理が来ることによって成立する。わざわざ岡山に行く必要はない。岡山に行ったが殺せず、次の日偶然にも、総理が奈良に来る。どちらにしても偶然が必要である。この容疑者はあまり無駄なことをしない印象を受ける。仮に岡山で暗殺を試みたとしても、十分な結果は得られないことは、想像できる。岡山に行くのは無駄足である。それでも、なぜ、岡山に行ったのか。それは行く必要があったからである。それは何か。それは手紙である。
3ジャーナリストに宛てた手紙の違和感
普通、動機めいたものを書いた手紙を、事が成就する前に投函するだろうか。しないだろう。万が一失敗するかもしれないし、足がつく可能性がある。私だったら、ああ言う手紙は、私が死んだ後にとか、事件が起きた後に投函してもらう様に頼む。容疑者はきっとその様にしたはずである。誰かに頼むと言うことは、その人物は少なくとも仲間である。仲間に自分が警察に捕まった後に手紙を投函してもらうように言っていただろう。なぜ岡山に行ったのか。それは巧妙なアリバイ工作と言えるかもしれない。
4消印のついた手紙を送る方法。
では、消印のついた手紙を送る方法はあるのか。切手に消印を押してもらうことは可能である。それをそのまま送ることは、もしかしたら万が一可能かもしれない。でも確実な方法がある。郵便局で、手紙に消印を押してもらった後、さらに封書に入れることである。そこに手紙を入れておく。「送った人に迷惑がかかるので、外の封筒は破棄してください。」これで岡山の消印をつけたまま、次の日に誰かが投函する事が可能である。
5宗教の恐ろしさと家族という洗脳
容疑者は強かで、頭脳明晰であり、本当はこの様な事件起こさなくても、十分にやっていける人物である様に思われる。有能であり、普通は無理だと思われる事が成功してしまった。有能な人間を不遇にするとこう言うことになってしまう。不遇な家庭環境は終わる事がなく現在進行形で抜け出す事が困難である。自分を大切にできない人間になってしまう。優しい人かもしれないが、人のためなら、自分はどうなっても良いという考えに至ってしまう。ねじれた家庭で育ったために自分の根底がなくなってしまう。この事件は本当に自分のために起こした事件なのか。これも一つの違和感である。ただ、容疑者のしたことで、少しでも救われた人がいる事も事実であり、国民が今まで目をつぶってきた宗教と政治の問題に少しでも目を向けた出来事である。